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2014/04/14

鐘撞堂山に登ってきました

Tweet ThisSend to Facebook | by:校長
4月13日花園中学校区にある鐘撞堂山に登ってきました。山桜やツツジなどの自然のすばらしさに感動し、生徒・保護者の皆様にもお伝えしたくなりました。山頂からは、花園中学校も見えました。
鐘 撞 堂 山(かね つき どう やま)
寄居町、旧花園町、美里町の分岐点で、標高3 3 0 .2 メートルの山です。戦国時代は鉢形城の見張り場で、事あるときには鐘をついて合図したことからこの名が付いたといわれています。この鐘撞堂は、北条氏邦の義父、康邦が造ったともいわれています。一説には、鎌倉時代に建造されたものだとか、猪股小平六範綱による造営ともいわれています。
この鐘撞堂の堂守は鐘打鐘阿弥で、この鐘阿弥は飛脚も兼ねており、天正年間には、鐘打は2 0 人で、敵襲来!ともなれば、戦時編成の守備隊によって、命令一下、鐘阿弥をして、この鐘が撞き出されました。そして、鐘から鐘へ信号が伝達され、隣接の諸城にまで非常事態勢に入る仕組となっていました。天正1 8 年、豊臣秀吉の小田原城征伐のとき、前田利家、本多忠勝などの軍勢などに攻撃され落城した折、ここの鐘も取り去られたと言い伝えられています。
(寄居町・埼玉県)
この鐘撞堂山に戦時中、B29など敵機の襲来、動向を監視する「防空監視哨―かんししょう」がありました。(深谷市HPより)





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